heavy-rain 女性 43才 山形 ★★★

しょうもないセックス、または性的行為(SM含む)よりは
自分の好きな方法でのオナニーのほうがよほどイイ
とゆう話を聞いたことがあるけれど、それは分かる気がする。
  
でもたぶん、大抵は次善の策だと思う。
自分に合うあいてがいない、または会えない。
だから何もないよりは自分でもする方がまし、とゆう感じの。
性的刺激を味わうための、次善の策。
 
以前はよくしていた。
SM的行為を受けることに、性的な刺激そのもの「も」求めていたのだと思う。
その先にあるほんとうの目的を明確には意識していなかった。
 
今、私にとってSM行為は手段。
行為・経験を重ね、相手を変えて行くごとに
自分が欲しいモノがハッキリとしてきた。
ほんとうに望んでいるもの。
(もちろん、今の段階でまだ無意識の
 気付いていないさらにその先の
 何かがある可能性はあるけれど
 今意識している時点で、ということ)
こうして自分のことを書いたり
そのことでひととやりとりしているうちに
明確になってきたこともある。
 
ほんとうの目的。
それは感覚的なもので、文章で表記するのは難しいし
伝える力もないので書かないけれど
性的刺激を受けることが目的ではないとはっきりした頃からオナニーをしなくなった。
今は全くしない。
  
オナニーは次善の策になり得ないから。
 
抑えているのではなく、全く興味がないからなので
もちろん次々善にも次々々善にもならない。
欲しいモノ・望むモノの線上にない、全く別次元のもの。
たぶん、他の多くのひとがオナニーするときに
変わりに空の写真を撮ったり、野菜を買いに行ったりする
というのと同じくらい接点がない事柄。
 

では、私にとってSM行為の次善の策とは。
  
お気に入りの写真や絵を見る。
お気に入りの小説を読む。
お気に入りのマンガを読む。
お気に入りの映画のお気に入りのシーンを観る。
お気に入りの曲を聞く。
(何度も繰り返し観たり聞いたり読んだりしていても
 また何度も繰り返しそうする)
ネット徘徊して、心に入り込んでくるものを探しまわる。
 
そういうことになるみたい。

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2015/05/28 18:49