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heavy-rain 女性 43才 山形 ★★★
仰向けに寝かされていると、天井が見える。
カラダが反り返ると、壁や鏡が見える。
吊られたり壁を背に縛られたりしていると壁や床が見える。
見えるはず。見ている。網膜には映っているはず。
与えられた刺激、堪え難く受け入れがたいそれからカラダが逃げられないのだから、精神だけでも逃げよおとする。
必死に試みる。
天井や鏡の一点を見つめ、頭の中に描く。
内蔵を取られるときの痛みはきっと、こんなものではない。
憧れていた、膣に酸を垂らされる痛みも。
ノコギリの刃がついた三角木馬も。
そしてきっと、電気工具のピストン部につけられた張り型で責められるときにも、こんなものではすまないはず。
でもそれも、ごくわずかな時間。きっと数秒。
勝手にあがる自分の叫び声をまるで他人の声のよおに感じながら、喉が枯れてゆくのを遠くに感じながら
何も無い、歪んで揺らいでいる空間にサカナの顔を探している。
その境目は私には分からない。
でもそおゆうものはどおでもいい。
行けるかどおかが重要なのだ。
逃げられない場所に追い込まれて
いつまでもいつまでも、そこにある痛みや絶頂に絶望して初めて行けるところ。
その間、自分のカラダはどおなっているのか、私には分からないし関係ない。
ふと、自分が大理石やセルロイドのよおな素材になったよおに感じるときがある。
見えていてもみえない。感じていても感じていない。
サカナに出逢う直前の、その隙間の時間。
逃げたい、と思えるくらい苦しいものでないと、そこへ行けない。
局部を焼こおとする炎も
陰核につけられた電極から流れてくる電気も
そこを何度も突き刺す針も
そおしてまるで脊髄に襲いかかってくるよおに感じる張り型も電マも
空想上で楽しむときよりも遥かに苦しい。
妄想のなかで私が望んでいるものよりも、遥かに少ない刺激なのに。
だから良いのだ。だからいつまでも苦しんでいられる。
最期がないのなら、永遠にサカナのいるあの空間を彷徨い続けたい。
カラダは置いておく。
カラダは執行者のもの。そして心も。
魂だけ、あの空間へ旅立って、苦しみの間にはそこにいられるのだ。
境目を彷徨わせてくれる執行者の手による「処置」の執行を、私はいつも求めている。
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2012/04/14 20:08